ふと、考える。

ふと、考えた考えって、

じっくり考えてたどりついた考えと

結果、同じ考えだったりしませんか?

いや、むしろ

ふと考えた考えのほうが案外芯を喰った考えだったりしませんか。

とか考えについて書いていたら、考えってこんな字やったっけ?

とゲシュタルト崩壊してきました!!

すみません、ブログの内容を考えず

先行してブログの題を、ふと考えるとしたところ、

ふと、こんな面白くないことを考えてしまいました。

そしてそのタイトルに引っ張られ私はふと、考えました。

サブカルチャーについて!!

(ふと、考えることに脈略も意図もない。なぜそんなこと考えた?と突拍子なものが多い)

では、ブログの題を改めよう。

題:ふと考える。サブカルチャーについて!!に

サブカルチャーと言えば、

大衆の流れに疲弊した心の駆け込み寺。

例えば、オルタナティブなロック、ミニシアター映画や、アングラな世界観の漫画、

などなど。

大衆文化より表現の自由度が高い文化。(個人的見解)

思春期においては、普通ではない私を演じるのに一役買っただろう文化。

と、まあ色々と勝手に解釈しておりました。

と、こんなことを考えてしまったので、せっかくだし、

誕生より怒涛の時代を生き抜き、現代にいたるまで人々を魅了する

サブカルチャーさんにインタビューしてみました!!(??)

※サブカルチャーさんはという人物は存在しません。

サブカルチャー史を淡々と書いても味気がなかったので

インタビュー形式でお送りいたします。

※以下、サブカルチャー略してサブカルと表記

※浅い知識のもと書いております。(反省)事実と異なる場合、その旨ご了承下さい。

ではでは、スタート🎉

🎤サブカルの起源は?

私の起源、それは1950年のこと。

社会学者のデイビッドリースマンさんが私の生みの親にあたります。

彼はサブカルの意味を、社会的マジョリティの文化・価値観から逸脱した「少数派集団」とし、その言葉、概念を生み出しました。

🎤サブカルの日本語訳は下位文化とも読めます。では、下位とは何に対して下位なのでしょうか?

大衆文化とサブカルの差異がとりわけ明確でないここ日本において、(サブカルであったオタク文化がもはや大衆文化と呼べる、ここ日本)サブカルの異名(まあそのまんまの訳ですが)が下位文化であることにピンとこない方が多いと思われます。

簡単に説明するとサブカルの英語表記はsubculture。subが意味するのは、その名の通りサブ、副次的な、下位を意味します。

では、サブカルの上位にある文化とは何かといいますと、ハイカルチャー(別名:上位文化、高級文化)がそれにあたります。ハイカルチャーはサブカルの対義語です。そう、ハイカルチャーに対して下位文化にあたるのがサブカルチャーとなります。

ハイカルチャーの定義はこう、学問・文学・芸術・音楽など人類が生んだ文化のうち、その社会において高い達成度を示していると位置づけされたもの。(wikiより)

🎤うーん。ピンとこないな~(笑)まあ、現代でいうと、少し格式の高い、、たとえば茶道とか?(笑)

難しいですよね(笑)カルチャーの定義は実にあいまいです。

何が下位文化とされ、何が上位文化とされるか。それはいたって流動的なもので、時代国地域で変わります。

では、高級文化と下位文化の対比的構図が顕著に表れた例を紹介しましょうか。

その昔、50年代以降のことです。主にヨーロッパの地域では

貴族や富裕層階級などの限られた人々のみ享受することができる文化をハイカルチャー(上位文化)とし(例:例えばクラシックや芸術などが)、労働階級などで享受されるだろう、享受するのに教養も地位も必要ない(享受者を限定しない)文化をサブカル(下位文化)としました。

当時サブカルチャーは、学問的に重要性が低いものとされ、研究対象に値しないものと軽視されていました。教育・教養でさえもハイカルチャーとして特権階級のいわば支配下にあったのです。

🎤格差社会、、。ブルジョア中心に世界はまわっていたのだな~。それでは復権?といいますか、いかにして地位?を高めていかれたのでしょう?

60年代に入ると、脱資本主義や反保守(キリスト教)を掲げた人々による、反体制的な活動、デモ、学生運動が激化します。これは、カウンタ―カルチャーの黄金期です。サブカル史において、この時代は非常に濃いものとなりました。

🎤カウンタ―カルチャーとは?

価値観や行動規範が主流社会のそれとは大きく異なり、しばしば主流の文化習慣に反する文化をカウンタ―カルチャーと呼びます。サブカルの一種とされるカルチャーです。(wikiより)当時、世間を賑わせたヒッピーなどがその代表例に挙げられます。あのピースマークのシンボルが有名ですよね。

🎤人々が様々な形での自由を求めた時代ですね。過激なものも少なくなかったと思います。

はい、声なき声であったマイノリティの人々が集結し、主に若者を中心に革命的な動きをみせた。この時代に誕生したカルチャーは後の音楽史、ファッション史など、多岐にわたり大きな影響を与えました。しかし、そんな彼らも大人になります。

🎤というと?

少数派として生きた若者の大多数は、次第に社会に迎合(?)、大衆の担い手へとなっていきました。

70年代後半~80年代に入ると、カウンタ―カルチャーは衰退していきます。

そして、次世代の若者たちが新たなサブカルチャーを形成していったのです。

🎤世代で引き継がれるもの、新たに更新されるもの、こうして時代(カルチャー

)が紡がれていくのですね。

おっしゃる通り。新世代はカウンターカルチャーの系譜を継ぐも、当時の激しさは排除し、大衆文化ともまた違うものを求めていきました。カウンタ―カルチャーを形骸化商業化したものがサブカルチャーであるという一説があるぐらい、カウンタ―カルチャーはのちの文化形成において大変大きな影響を与えました。

そして時は、20世紀、大衆文化の時代に入ります。これこそ、革命といいますか、カルチャー史の域を超え、大きくかつ曖昧に申し上げると、世界がまた次のフェーズに移行した。とも言えますね (笑)

🎤特権階級が支配する社会よ、さようなら。大衆社会の誕生ですね。

はい。文化圏も次第にハイカルチャーから大衆文化に移行します。

ハイカルチャーとは違い、多くの人々にとってより開かれたものが大衆文化です。

マスメディアの発達も大衆文化の発展に大きく影響したといえます。支配階級の人々が大衆文化に興味を移していったのも背景にありますね。

🎤映画や、テレビなど、娯楽がどっーんと増えましたもんね。

そしてそして、大衆文化の発展のもと、サブカルチャーは注目を浴びることになります!

80年代~のカルチュア・スタディーの広がりがそれです。

🎤カルチュア・スタディーとは?

カルチュア・スタディーは文化研究において、ハイカルチャーのみでなくサブカルチャーを研究材料に入れてより深い研究をしようという動きを指します。

絶対なるハイカルチャーに対し、見向きもされなかった暗冥の時代を思うと、こみ上げるものがありますよ(笑)

先ほどにもお伝えしましたが、カルチャーはそもそも定義が難しい。流動的なものなので、定義づけは一時的なテゴライズに過ぎないかもしれない。

わかりやすくいえば、そういったところにも注目して、サブカルも含め大きく研究していきましょう!そんな感じです。

🎤これぞサブカルの逆襲劇!がんばりましたね(笑)言葉が誕生してから長いこと待ちましたね( ノД`)。

ありがとうございます(笑)さあ、間髪入れずに進めますよ!

なんとここで日本のサブカル史開口ですよ!!

🎤おっとうとう日本に!!

はい、1980年代~ 日本では脱近代主義のニュー・アカデミズムが起こります。

若者を中心に保守的な考えをすて、学問において分野を限定せず、学際的に事象研究していきましょう!的なのがそうです。

このニューアカデミズムの流行に乗り、サブカルの概念が、ここ日本に上陸します。

まあ、また良い波に乗ってこられた(笑)

そうですね(笑)当時の若者は刺激を求めていました。よりコアで、よりアングラで、より刺激的なコンテンツに(例:オカルトやパンクミュージックなど)サブカルという言葉があてがわれ、瞬く間にそれは広がりました。ムーブメントの域ですよ。

🎤ポストモダニズムに、サブカルチャーという概念の愛称は抜群だった。的な?

言い得て妙かも(笑)知的好奇心を駆り立てるサブカルは抜群のポップ(広告商材)。サブカルと銘打てば売れるみたいな(笑)いい時代だったな~(笑)

🎤(笑)日本とサブカルの親和性はすごく高いように思えます。

海外の日本のイメージって、アニメや漫画など、サブカルチャーに属するものが代表例として挙げられることが多い(笑)まあそれら文化はもはやメインカルチャーともいえますが、、本日はどうもありがとうございました。

こちらこそありがとうございました。カルチャーは人が享受し育むもの。

時代が変われば人も変わる。人が変われば価値観もかわる。価値観が変わればカルチャーもかわる。何が誘発して事象に変革をもたらすのかわからない。全ては繋がっている。

全ては宇宙に帰すのです。

(壮大なことを言いたかったのではない。このブログの締め方が分からなかっただけです。悪しからず。)

事務局 森本